光明寺を出て、すぐ近くにある乙女峠マリア聖堂へ向かう。
入り口に差し掛かると、竹の杖がたくさん置いてある。
「急な坂道なのでお使いください」の札。
いくら何でも杖なんか要らないだろうと思って坂道を登り始めるが…なかなかキツイね(笑)
手ぶらで行くのなら大したことないが、右肩に三脚、左肩にカメラバッグ…ちょっと堪えた。
上り始めて約5分、やっと聖堂が見えた。
ここも紅葉は来週以降だね。
坂を登り切ったら、シスターがいろいろと話しかけてきた。
聖堂の中のステンドグラスの説明を受ける。
すべて事実に基づいて作られたものであるそうだ。
ここにはキリシタン弾圧の悲しい歴史がある。
左側のステンドグラス…
祐次郎少年が拷問を受け続けて8日目、飯粒を咥えた雀が雛鳥にその飯粒を与える光景を見た。
「雛鳥でも神様から親鳥によって大事にされ、守られていると思うと、まして私がここまで責められるのをご覧になって、(神様が)より以上にかわいく思ってくださらぬはずがない」
「そう思うと勇気百倍、何の苦しみも無しに(拷問に)耐え忍ぶことが出来ました」
祐次郎は雀の親子から神の本性が愛であることを悟ったのである。
右側のステンドグラス…
5歳のもりちゃんは飢えに苦しんでいた。
そこに役人は美味しいお菓子を見せながら
「食べてもいいから、そのかわりにキリストは嫌いだといいなさい」
と言い放った。
それを受けて、もりちゃんは
「天国の味のほうがもっといい!!」
と答えて永遠の幸せを選んだという。
殉教者たちへの拷問は、筆舌に尽くし難いほど凄惨苛烈を極めたという。
今でこそただの池だけど、冬の寒い時期には氷が張って非常に冷たくなる。
ましてや地球温暖化なんて考えられなかった時代なので、今よりももっと寒くなった。
当然池の水は凍り付いている。
そんな池の中に裸の殉教者を縛り上げて投げ込む。
その後で火あぶりの刑にされた者もいた。
肉体的だけではなく、精神的に追い込む拷問もあった。
これは「三尺牢」。
極寒の中、裸のままこの小さい牢に閉じ込める…人間の弱さを最大限に利用する心理学的拷問である。
いろいろと見学するうちに、シスターの話を聞くうちに、悲しみと怒りで涙が出そうになった。
殉教者の墓。
墓と言っても、大人の膝丈ぐらいの大きさしかない。
この小ささがまた悲しみを増幅させる。
これは手を合わせずにはいられない。
墓の前に立ち、かなり長い時間手を合わせる自分がいた。
今がいくら不景気であっても、世の中がギスギスしているとはいっても、この頃から比べたら今は何と平和な時代だろう。
現代日本においては信仰の自由はしっかりと保障されていて、少なくとも国家権力に殺される事は無い。
逆に殉教者たちは、現代人が失いつつある「信じる」心を持っている。
本当の幸せって何だろう…いろいろと考えさせられる場所だった。
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- 2008/11/01(土) 13:32:02|
- 仕事道中記(車)
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| コメント:2
信教の自由が認められない時代、悲しい話です。
三尺牢、こんな狭い所に寒い中に閉じ込めるなんて、酷すぎる。
- 2008/11/02(日) 20:00:20 |
- URL |
- 桃源児 #-
- [ 編集]
>桃源児さん
本当に悲しい時代です。
純真な心のまま殉教して行った多くの人々のことを思うと心が痛みます。
- 2008/11/03(月) 13:10:54 |
- URL |
- ゴリ@七曲署 #o14txy56
- [ 編集]